京都新聞TOP > 文化・文芸・教育アーカイブ >未時(ひつじどき)
インデックス

今も昔も変わらぬ風景

(十二・完)蜃気楼
(写真上)明治27年に嫁いできた曾祖母の雛人形。木箱を開けて人形を取り出し、今年も「今」を更新させる(京都市下京区・杉本家住宅=吉田清貴)
(写真下)庭のスミレに春雨のしずくが乗って

 門口の厚く重たい引き戸を開ける。店の間をとおり抜け、猿戸(さるど)をくぐってお台所から上がる。「ただいまあ」

 家はいつも静か。学校から戻ると、押し入れの中の夜具によじ登って丸くなった幼年の日々。内側から戸を閉めた真っ暗の世界は、いつでも夜の安心の匂(にお)いがした。格子の内側で心に刻まれた穏やかな思い出。それは時おり漂い現れてはチリっと胸の奥を引っかいてみせる。

 今も昔と変わらず佇(たたず)む家。この眼前の景色に、大蛤(はまぐり)の吐き出し描いて見せるという幻の楼閣を見るような心地のすることがある。帰りたい本当の居場所はそこにあるように思われて。

 ひとつの家族の思い出は、こうしたものかもしれない。

 春の雨が近づく夕暮れ時など、遠くから漂う土の匂いは、どうしようもなく切ない気持ちにさせる。もう、帰ることのできないあの思い出に決別を迫られているような、そんな気が、いつもして。お伽話(とぎばなし)にある玉手箱も、まんざらお伽と侮れない。開けずにいたら、滞った思い出の時空に生き続けなければいけない。開ければ、二度とそこへは戻れぬ約束と引き替えに、今を生きることができる。

 箱は開けられるべきもの。仕舞い込むためでなく、今を更新させるためにある。百年以上の時を経た雛(ひな)人形を出すのもおなじ。

 庭に桃が咲き始める旧暦の雛飾りには、たった数度だけ祖母が孫達のために苦心して飾ってくれた御殿の記憶が現れる。今年も木枠を組み立て、人形の木箱を開けて、この春があったことを残す。

 ここに一つ、戯(ざ)れ歌が手書された琴の爪(つめ)をしまう小箱がある。厳しいお稽古(けいこ)にいやいや向き合う幼年の祖母の姿がみえる。
 「つ」るりんと
 「め」から涙の
 「お」つるとき
 「は」なを鳴らして
 「こ」とをひくなり。
 「爪お箱」。

 今、この小箱を開けて琴を習い始めた孫がいると知ったなら、祖母は何と言うだろう。

 春の日差しは、輝く水面(みなも)に光の網をかけて記憶をつかまえ始める。この瞬(またた)きが、幻と現(うつつ)のさざ波の打ち寄せ返す思い出となる。脆(もろ)く儚(はかな)い今のすぐ傍らで。

 この家を訪れる人は、思い出の蜃気楼(しんきろう)を見る。心に閉じていた貝の口が、つい緩んでしまうから。

(奈良屋記念杉本家保存会学芸員)=おわり

【2009年3月2日掲載】