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美術評論家・タレント 山田五郎 さん

70年代、バリバリの若者の街

 京都を色に例えるとするならば青。それも暗く、濃いという。「デートで見た喫茶店『ソワレ』の店内の印象かな」。青年期に触れた京都は和風というより洋 風の街。同時に、いつも青空だったと記憶の風景を振り返った。「なるほど」とうなずきながら、ふと疑問が。青空なのに暗いって?
 西洋美術に触れるため、京都の美術館に通った日々。語られた思い出はどれも明るく、澄んだ青空の下を思わせた。でも、まだ何者でもなく、もがき、ひとり空を見上げる。そんな「青の時代」が透かして見えた気がする。

「1970年代の京都を知る者からしたら、京都は若者文化の街なんです。全然まったりしてない。むしろ、攻めてる街だったんですよ」(京都市東山区・わらじや)
「1970年代の京都を知る者からしたら、京都は若者文化の街なんです。全然まったりしてない。むしろ、攻めてる街だったんですよ」(京都市東山区・わらじや)

 幅広い知識から「教授」の愛称で知られる美術評論家でタレントの山田五郎さん(57)は、中学と高校時代を大阪で過ごした。1970年代、京都は青春の思い出が詰まった街だった。
 「当時は国鉄(現JR)の『ディスカバー・ジャパン』キャンペーンで京都がはやってたんですよ。創刊されたばかりの女性誌『an・an』や『non―no』でもよく特集され、アンノン族と呼ばれた若い女性がわしゃわしゃ来てました。

 僕ら大阪の高校生にとっても絶好のデートコース。西洋美術の大きな展覧会は大阪には来なくて京都で開かれることが多かったから、それを口実に誘うわけです。四条河原町から白川沿いを歩いて岡崎に向かい、美術館で展覧会を見る。近くのレストランで一服して次は南禅寺。人けのない水路閣に誘い込むのが狙い。そこでいい雰囲気になれたら哲学の道へ向かうのですが、途中で地元の男子校生から下品なヤジを浴びせられるのもお約束。友人のみうらじゅんさんの母校も近くにあるので、後にその話をしたら『それ、俺らかもしれん』と言ってました。京都には、そんな甘酸っぱい思い出がたくさんあります」

ヒッピー文化の本場って感じ

「特に思い入れがある場所は岡崎地区ですね。美術館があって。京都で一番通った場所です」(左京区)
「特に思い入れがある場所は岡崎地区ですね。美術館があって。京都で一番通った場所です」(左京区)

 京都は日本の伝統文化を色濃く残す街としてのイメージが強調される。だが、山田さんにとっては「若者の街」だ。
 「京都には、その頃でもまだ学生運動が続いていましたからね。ヒッピー文化の本場は京都って感じで、バリバリの若者文化の街でしたよ。ライブハウスやジャズ喫茶も大阪より盛り上がってましたし、京都大西部講堂や円山公園音楽堂でも後に伝説になるようなライブが次々に行われていたものです。僕が好きだった憂歌団も、大阪のバンドなのに京都で聴いたライブのほうが印象に残っているくらい。会場の雰囲気やお客さんのノリが京都の方が良かったせいかもしれません。土日は美術展やライブを見に、よく京都に来てました。当時住んでいた豊中からは、阪急で40分くらいで着きましたから」

 東京の大学に進んだが、発掘調査で過ごした京都で、ひと夏の思い出がある。
 「大学で学芸員課程を履修して、遺跡の発掘実習で京都の現場を選んだんです。地下鉄烏丸線の工事に伴う調査発掘でしたが、これがどえらくしんどい仕事で。京都の夏はただでさえ蒸し暑いのに、炎天下に露天掘りの穴に入ってるから、さらに蒸す。あっという間にシャツに塩吹いて『人間塩田』状態ですわ。他の実習生は全員、女子学生でしたから、力仕事はみんな僕に回ってくるし。毎朝6時起きで大阪の実家から1カ月通ううちに、元から50キロちょっとしかなかった体重が45キロまで落ちました。でも、京都の発掘業界で有名だった『向日町のハシモッさん』という方に、いろいろ教えていただけたのはラッキーでしたね。本業は農家で朝、畑を耕してからいらっしゃるだけあって、京都の土を知り尽くしている。『この層は50センチくらい続いとるで』とか言われて掘ってみると、見事にその通りなんですよ」

 大学卒業後、出版社の講談社に就職。編集者として京都に関わることになる。
 「女性誌の仕事で何度も訪れましたが、京都ほど取材がややこしい街はない。古寺や老舗に正面から申し込んでも、大抵は断られますからね。ところが、ある特定の方に口を利いていただくと、途端にすんなりいくんですよ。いわゆる有力者とは限りません。小さなお店のご主人とか、個人タクシーの運転手さんとか、意外な方が意外な方面に顔が利く。ただし、そういう方たちも何度かお会いして信頼関係を築かないと、取材先に紹介してはくださいません。とにかく時間がかかるんですよ。そこが大阪と違うところ。大阪人は時間がかかることを嫌いますからね。京都という街の奥深さを思い知りました」

やまだ・ごろう

「デートでは専らフランソワ喫茶室、男友達とは六曜社によく行きました。若者の洋風な文化が和の街に不思議となじんでいるんですよね」
「デートでは専らフランソワ喫茶室、男友達とは六曜社によく行きました。若者の洋風な文化が和の街に不思議となじんでいるんですよね」

 1958年東京都生まれ。上智大文学部在学中にオーストリアのザルツブルク大学に遊学し、西洋美術史を学ぶ。講談社で「Hot―Dog PRESS」編集長などを経てフリー。時計、西洋美術、街づくりなど幅広い分野で講演、執筆活動を続ける。主な著者に「百万人のお尻学」(講談社+α文庫)「知識ゼロからの西洋絵画入門」(幻冬舎)「銀座のすし」(文藝春秋)など。

【2016年06月18日掲載】