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(16・完)数学研究者 森田真生さん×詩人 岡本啓さん

自分の心身使う実験
 かつては同じ風景を見ていたのかもしれない-。混沌(こんとん)としてあいまいな現実の世界に数の概念を持ち込んで抽象化する「数学」と、純度の高い言葉で世界をつかみ取る「詩」という文学形式。二つの表現に接点はあるのか、あるいは平行線なのか。在野で数学を研究する森田真生さんと、詩人の岡本啓さんが語り合った。

限界、危うさ詩になる

自然の気配、街のざわめきが思考に影響する。哲学の道を散策し、語り合う森田さん(右)と岡本さん=京都市左京区
自然の気配、街のざわめきが思考に影響する。哲学の道を散策し、語り合う森田さん(右)と岡本さん=京都市左京区
 森田 詩集「グラフィティ」を読みました。一番好きだったのは「N・Dに」という作品。部分だけ切り取っても仕方ないかもしれないけれど、<なにか伝えられることがあるとすれば/石のうえの雪のまぶしさ/鹿の糞のこと>…。数学や哲学の言葉はどうしても複雑で抽象的になる。でも、結局、一番伝えたい人に一番伝えたいことって、もっと当たり前なことじゃないかと思います。広大な空間の思考と、目の前のリアルが錯綜(さくそう)している感じもいい。僕も普段、そういうところで生きている感じがする。

 岡本 伝えたいこと。難しいですよね。ある意味伝えたいことしか書いていないけれど、自分の意図が伝わるかどうかは実は問題ではない。そもそも詩は、何かをくっきりと正確に言える形式ではないし、むしろ深いところで意味を押しつけないのが楽しさだと思っています。だから、読者には作者の意図なんか知らねえ、くらいの感覚で読んでほしい。

 森田 東京にいたころコンテンポラリーダンスをやっていて。別に何かを伝えるために踊るわけではなく、自分の中の情熱に動かされて、こうなっちゃったみたいな感覚でした。「数学の演奏」をする時の僕もそういう感覚なんです。

 ■言葉で立ち上げる世界

 森田さんは、数学的思考の現場としての身体に着目し、記号や計算が誕生する以前の数学の世界を見つめ直す。その成果は、トークライブ「数学の演奏会」として2009年から全国各地の人々と分かち合っている。

 岡本 数学を自分で考え直すだけではなく、それを伝えようというのが面白い。なぜ始めたのですか。

 森田 自分が勉強してわかるのも楽しいけれど、わかった感動が人に伝わり、共有できることの方がもっとうれしい。僕は数学を始めたのが遅かったから、数学語をいったん日本語に翻訳しないと理解できなかった。でも、その分、数学を知らない人に日本語で伝えることができる。数学語の世界の中で生きていくことが作詞や作曲ならば、数学語じゃなく、言葉で表現するのは「演奏」と言えるのかな、と。

 岡本 数学が苦手な人でも、わかるという感動の場に連れて行ってもらえる。「数学する身体」を読んでいても、本当にわかりやすい。文章に嫌な感じが全然しないんですね。ところが詩だと、わざと気持ちの良くない言葉を使って、自分が他者であることをはっきりさせたりする。例えば「おまえ性格悪いぞ」とか「この紅茶うまいな」という言葉は、友達とのおしゃべりではすんなり通じる。だけど文字で読むと伝わらない。感じてもらうには、自分が話せる限界、一番危ういところを見せないといけない。そのためには自分自身を深く掘っていき、他の人を深く見つめるやり方が必要だと思う。

 森田 数学や哲学の言葉は情報として読むから嫌悪感を覚えることはないけれど、詩とか小説になると、この表現は嫌い、許せないとか、生理的な反発が生じます。テキストなのにすごく肉体的な交流というか、なまなましさがある。詩と数学の言語はどちらも、ありもしない世界を言葉によって立ち上げる点では共通しているけれど、数学の場合は言語が行為の足場になっているのが特異な点。例えば36×72と書いたら、その続きが自動的に決まる。言葉の上で行為ができる。

 岡本 数学を土台に、さらに数学を進めていくということですね。しかも、それがコンピューターの仕組みなどに結実して、何かしら実世界に跳ね返ってくるのが面白い。本当に人類はすごいものを生み出したなと思います。

情を通し、数学の再考を

 森田 でも、数学が現実から離れて純粋に数学的言語だけで展開していくのは19世紀に入ってから。それまでは、数式とともに日常言語も混入して思考されていた。だから、日常では役立たない言語で推論し、そこで生まれた飛躍の意味を、もう一度、自分の情を通して考えることをしてみたい。両方の世界を往復するのはしんどいけれど、人体実験のような感覚で取り組んでいます。

 岡本 詩作も自分の身体を使う人体実験的なところがある。昔、哲学を勉強していた時は、物事を俯瞰(ふかん)して見ていて、例えば誰かとけんかした時、こいつはここに怒った、それに対して自分はこう腹を立てている、とか。でも詩を書き始めてからは、自分が今、どれだけキレているかを大事にする。人間一般ではなく、自分がどう感じたか。その気付きが詩になる。昨夏、「青春18きっぷ」で下関に旅行に行った時、電車の中でひたすらウナギについてしゃべるおじさんに出会ったんです。でっかいウナギを見つけた、鹿児島には巨大なやつがいる、って。僕は愛想良く返事しながら「この人、大丈夫かな」と思っていた。その時ふと、軽蔑を含んだ自分の冷徹な視線に気付かされたんです。それは「息の風景」という詩にしました。

 ■京都で創作、思考する

 2人はともに桐朋高(東京都国立市)出身。それが数年前から京都で暮らすようになった。森田さんは「どこにも所属していないから、どこに住んでもいい」と京都を選び、岡本さんは研究者の妻の勤務先に合わせ、引っ越してきた。

 岡本 京都は本当に特別な街。多くの人が憧れるのはわかります。ただ、あまりにたくさんの歴史、文化、そして日本文学の伝統を背負っているので、創作にとっては難しい面もあります。いまさら祇園祭とか、書けないですよ(笑)。

 森田 京都にいなかったら「数学する身体」は書かなかった。今住んでいるのは築100年の古民家。夏は暑く、冬は恐ろしく寒い。季節の変化がリアルに感じられる。虫や鳥の鳴き声など思考に介入してくるノイズがいっぱいあって、環境が思考の一部になっている歴史を感じます。

詩人 岡本啓さん

岡本啓さん
 おかもと・けい 1983年宮城県生まれ。東京大文学部卒。京都市中京区在住。2011年から「現代詩手帖」に投稿し、2014年出版の第1詩集「グラフィティ」で中原中也賞、H氏賞をダブル受賞。

数学研究者 森田真生さん

森田真生さん
 もりた・まさお 1985年東京都生まれ。東京大理学部数学科を卒業後、独立研究者。京都市左京区在住。2015年出版の「数学する身体」で第15回小林秀雄賞。編著に「数学する人生」。










息の風景

未知を見つけようと
考えを止め
ノートは開けて

葉が騒ぐ
数えきることはできないけど
数えようとした短い時間に
木漏れ日は
いたむ肌になじんだ

こんなウナギをつかまえたんです

呼び止めるこの人は
狂っていないか
探る口調が
風景に細かな傷をつけていった
快速に乗り継いでみても
すり傷は
窓ガラスから消えない
(連作「首飾りの島々」より)