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みんぱくに出会った千家十職

(1)表具師 十二代奥村吉兵衛さん(74)
「私らの仕事は職人仕事や。表具の中身や道具を引き立てるための技術を売ってる」と語る奥村吉兵衛さん(京都市中京区)
 茶道具の制作に携わってきた千家十職をテーマにした特別展「千家十職×みんぱく 茶の湯のものづくりと世界のわざ」が、2009年3月〜6月に国立民族学博物館(大阪府吹田市)で開かれた。十職が民博の収蔵品に着想を得た新作を披露するユニークな試みだった。伝統に培われた様式美を極める職家が、そこで何を感じたのか。日ごろの仕事ぶりとともに、思いを伝えたい。

メキシコの「アマテ紙」 素朴さ生かし風炉先屏風に

メキシコのアマテ紙などで仕立てた風炉先屏風。「1枚ずつ手作りのためか、色の統一に苦労した」とも
 荒い肌を残した分厚い紙を前に、奥村さんは「半分板のよう」と感じた。イチジク科の樹皮をたたいて作られるメキシコのアマテ紙。「私ら日本のもん(紙)しか興味がない。日本の紙に勝るものは、世界にない。手触りもきめの細かさも、日本の紙が一番や。外国のことには興味を持ったことなかった」
 「収蔵庫を見ても、うちの仕事として制作するのは無理やと思った。見たことも触ったこともない紙は、収縮率も何もわからへん」
 だが、職人の手業が曇ることはなかった。勝手の違う紙に相対し、素朴な色合いと風合いを生かし、風炉先屏風(びょうぶ)に仕立てた。「私らの仕事は、職人仕事。家元のお好みによって、掛け物や風炉先を仕立てる。創作的な仕事やない。風炉先は、前に置いたお茶道具を引き立てるもの。さて、どんなふうに映るか」と心を砕く。
 日本では古くから、用途に応じた紙が各地で作られてきた。奥村さんが手にする襖(ふすま)紙の雁皮(がんぴ)紙は越前で、掛け物はほとんどが吉野の宇陀や美須。屏風や建具類には越前や美濃産。機械を使わず、丁寧に手ですいたものばかりだ。
 作りたての日本紙は柔らかい、という。「一年、二年たって絞まってきて、紙が動かんようになる。それを掛け物なんかにするときは、紙をまた柔らかくしてやって、巻けるようにする。掛け物は上が厚くて下が薄い。ただ形にしただけやない。そこは長年の勘」と笑顔を見せる。

すでに半世紀

創作のヒントとなったアマテ紙を使ったメキシコの切り紙細工(国立民族学博物館蔵)
 子どものころから見よう見まねで仕事を覚え、学生時代から本格的に家業に携わるようになった。表千家の家元に出仕するようになって、すでに半世紀を迎えた。「親より気を張っていい仕事をしている自負がある」
 しかし、時代は移ろう。
 丁寧に作られた繊細な手すきの紙は、需要が少なくなり、職人も減った。水も気がかり。二十年ほど前から、滋賀県の比良山から手に入れる。一週間に一度、タンク三、四杯の水を運んでもらう。
 のりもかつては寒の水でたき、十分に寝かして腰が抜けてから使ってきた。近年は合成のりも試しながら、試行錯誤でよりよいものを研究する。「樹脂やらを使うと傷んだとき困る。いつ補修が必要になるかわからない。水や湯でめくれんようでは困るしね」。数百年の歴史を背負い、何十年何百年先を見すえた仕事が今日も続く。
【2009年3月12日掲載】
 奥村家 江州佐々木家の流れをくむ武士の家系だったが、初代は京へ上り、母方の家業の表具師を継いだ。千家とのつながりは二代から。表千家六代覚々斎の取りなしで、紀州徳川家の御用も務めた。以来、表具のほか屏風や風炉先屏風、紙釜敷などを手がける。