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(23)京阪石山坂本線三線軌条部(大津市)

高速化の時代に姿消す
軌間の異なる京阪と国鉄の列車を通すためレールが3本敷設された三線軌条の区間(1969年、大津市浜町)=個人蔵
軌間の異なる京阪と国鉄の列車を通すためレールが3本敷設された三線軌条の区間(1969年、大津市浜町)=個人蔵

 通常、鉄道にはレールが2本敷設されているが、かつて大津市の京阪石山坂本(石坂)線の一部には3本のレールがある「三線軌条」の区間があった。車輪幅の異なる京阪の電車と、国鉄の汽車などを同じ線路に通すための工夫だ。明治の鉄道の名残をとどめ、高度成長期に姿を消した三線軌条区間を求めて大津市に向かった。

 三線軌条だった区間は京阪の浜大津から膳所駅までの約2キロ。同区間は鉄道草創期の1880(明治13)年に、膳所駅から湖岸に向かう路線として国が完成させた。後には浜大津駅で湖西方面への江若鉄道と、膳所駅で国鉄東海道線と接続した。

 浜大津駅で京阪電鉄元常務の長谷川和之さん(87)=京都市山科区=と待ち合わせをし、思い出を尋ねた。長谷川さんは1956年から2年間、石坂線各駅で駅員を務めた。「当時はまだ米軍が駐留しており饗庭野演習場(高島市)や大津水耕農園(大津市)へと行き来する貨車があった。戦車を積んだ車両も走っていた」と語る。

 痕跡を求めて歩き出す。レールが3本だったのは湖岸側の線路だ。現在は埋め立てで湖岸と線路は100メートルほど離れているが、かつては線路のそばまで湖水が迫り、「荒れた日には電車にしぶきがかかった」(長谷川さん)。湖岸道路として知られる県道の「島の関西」交差点付近で、線路の路盤を支えている赤茶けた古い石垣が見えた。

現在の島ノ関駅。電車が止まっている湖岸側の線路に三線軌条があった(大津市島の関)
現在の島ノ関駅。電車が止まっている湖岸側の線路に三線軌条があった(大津市島の関)

 島ノ関駅を過ぎると、関西アーバン銀行びわこ営業部や滋賀県警本部、大津中央郵便局が軒を連ねる。県警本部の前あたりで川に架かる小さな鉄橋を見つけた。銘板を見ると戦前・戦中の役所「鉄道省」の文字が見えた。

「鉄道省」の文字が見える鉄橋の銘板(大津市中央4丁目)
「鉄道省」の文字が見える鉄橋の銘板(大津市中央4丁目)

 1911(明治44)年石坂線の運行母体の会社が発足した。石坂線は国鉄による2本のレールの外側に、もう1本レールを敷設し、より幅広い軌間で営業を開始した。やがて、湖西へと伸びる江若鉄道が開業すると、その列車も三線軌条区間を走った。

 60年代、東海道新幹線が開通。全国で輸送の高速化が図られ、国鉄の電化、複線化が進展した。滋賀県でも全線複線電化の湖西線の計画が進んでいた。

 そんな時代でも浜大津-膳所間には依然、国鉄の機関車や江若鉄道の気動車が走っていた。単線非電化の江若鉄道は湖西線に路線用地を譲ることとなり、69年10月31日での廃止が決定した。貨物輸送減少が見込まれるため国鉄は同時に膳所-浜大津間を廃止。三線軌条は役目を終えた。

 石場駅付近に残る「工」の字をかたどった国鉄の境界くい(大津市松本2丁目)
石場駅付近に残る「工」の字をかたどった国鉄の境界くい(大津市松本2丁目)

 京阪石場駅に着いた。付近には「工」の字をかたどった国鉄時代の境界くいや、「国有地」と書かれ地面に取り付けられたプレートが点在しているのを見つけた。

 同駅を過ぎると、線路は、並行していた道路と分かれる。住宅街を右に左にと歩いていると、JR東海道線が近づいてきた。膳所駅で京阪とJRの線路は寄り添いつつも、交わらず東に向かう。両者をつないだ線路の痕跡は見当たらなかった。

三線軌条

三線軌条
 国鉄は明治初頭以降、軌間1067ミリで線路を敷設した。現在でもJR各社は新幹線を除き、この規格で運行する。江若鉄道も国鉄との乗り入れを考え同じ軌間とした。明治後期からは、欧米で標準的な軌間1435ミリの私鉄路線が全国で建設された。京阪石山坂本線は後者にあたる。

【2018年01月12日掲載】