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(14)日本冶金工業専用鉄道大江山線

貴重な鉄道遺産の宝庫
大江山線を走る貨物列車。大江山の山並みの一部は、軍部の検閲により加工されているという(1942年5月6日、京都府与謝野町後野)=日本冶金工業大江山製造所提供
大江山線を走る貨物列車。大江山の山並みの一部は、軍部の検閲により加工されているという(1942年5月6日、京都府与謝野町後野)=日本冶金工業大江山製造所提供

 日中戦争が泥沼化し、太平洋戦争へと向かった時代に、京都府北部で開通した鉄道があった。軍需物資のニッケルを運んだその路線は、敗戦とともに休止し、戦後にわずか4カ月復活したのち廃止された。短命の鉄路の跡地を訪ねた。

 京都府与謝野町の加悦と同町内の鉱山を結んだ日本冶金工業専用鉄道大江山線だ。昭和15(1940)年、大江山でニッケル鉱山を営んでいた会社が開通させた。

 大江山線は加悦鉄道に乗り入れていた。始点は与謝野町加悦庁舎の場所にあった加悦駅だ。同鉄道の路線跡と同様、大江山線の跡地も自転車道として整備されている。

 庁舎東側に「転車台跡」と書かれた看板があった。機関車の方向転換用装置のあった場所だ。ニッケル輸送に伴い同17(42)年に設置された。跡地に立つ庁舎には転車台をかたどった円形広場があり、往時の記憶を後世に伝える。

鉄道ファンにとっては「宝の山」の加悦SL広場。屋根の下に停車しているのが国内に3両しかない重文の蒸気機関車(京都府与謝野町滝)
鉄道ファンにとっては「宝の山」の加悦SL広場。屋根の下に停車しているのが国内に3両しかない重文の蒸気機関車(京都府与謝野町滝)
 いざ歩き出したが、空を見上げると、鉛色でいつ降り出すか分からない。降水確率は低かったはずなのだが、「弁当忘れても傘忘れるな」の土地柄、空模様を気にしながら歩を進める。

 10分ほど歩くと、道路と交差していた。交差点の四隅に黄と黒の柵が残っている。踏切の跡だ。

 自転車道には、鉄道路線を模して、1キロの間に何メートルの高さを登るかを記した「勾配標」が取り付けられている。「10・0」や「15・2」などの数字が書かれ、緩やかな上り坂であることがよく分かる。

 同12(37)年に始まった日中戦争が長期化し、爆弾や魚雷、航空機などの部品製造に欠かせないニッケルは急激に増産が必要となった。しかし、当時はほぼ全量を輸入に依存していた。含有量は乏しいが鉱脈のある大江山は重要視された。

 同15(40)年、大江山線が開通し石川県の精錬工場へと輸送がスタートした。太平洋戦争開戦後の同17(42)年には、鉱山の約10キロ北に精錬所(現日本冶金工業大江山製造所)も建設された。しかし同20(45)年8月の終戦で、鉱山が休止するとともに大江山線も列車が走らなくなった。戦後は、同30(55)年、海外からのニッケル鉱石輸入が途絶えた4カ月間のみ採掘が行われ、貨物列車が運行された。

路線跡の自転車道と道路の交差点にある踏切跡の柵。大江山線の名残をとどめる(与謝野町後野)
路線跡の自転車道と道路の交差点にある踏切跡の柵。大江山線の名残をとどめる(与謝野町後野)
 
 終点の鉱山駅跡に近づくと、登り坂は急になっていく。沿道の勾配標には「28・0」と書かれていた。足に力を込めて登り終えた道の先に加悦SL広場があった。広場には国内で3両しかない重要文化財の蒸気機関車をはじめ、多くの貴重な車両が並ぶ。

 整備された路線跡も含め貴重な鉄道遺産がある与謝野町を、なぜ「鉄道の町」としてもっとアピールしないのだろうか。「鉄道は一つの資源。PRする場合は主な産業のちりめんとからめて実施したい」(与謝野町商工観光課・安田光樹主査)と慎重な回答。かつてニッケルを産出した鉱山跡一帯は、今や鉄道ファンにとっての「宝の山」。十分魅力が詰まっている。
線路跡の自転車道には鉄道を模して勾配標が取り付けられている。加悦SL広場近くでは「28.0」と書かれていた(京都府与謝野町滝)
線路跡の自転車道には鉄道を模して勾配標が取り付けられている。加悦SL広場近くでは「28.0」と書かれていた(京都府与謝野町滝)

日本冶金工業専用鉄道大江山線

日本冶金工業専用鉄道大江山線
 全長2.5キロの貨物線。1985年、加悦鉄道とともに廃止された。加悦-鉱山間に計画されながら開業しなかった「桜内駅」もある。戦時中の鉱山では、学生や受刑者のほか、強制連行された中国人、連合軍の捕虜らも労働力とされた。元英兵フランク・エバンス氏の著書「憎悪と和解の大江山」にもその様子が描かれている。

【2017年02月03日掲載】