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(18)国鉄篠山線 (南丹市―兵庫県篠山市)

社会の流れに翻弄され

 戦時中、軍需物資のマンガンやけい石を運ぶため、丹波地方を東西に貫く新線の工事が始まった。京都・兵庫両府県にまたがるはずだったが、突貫工事の末に兵庫側のみ「篠山線」として開通。京都側には延びないまま、戦後、赤字路線として廃止された。戦争に翻弄(ほんろう)された鉄道の、路線予定地と廃線跡を訪ねた。

園部駅から福住まで走る京阪京都交通のバス(JR園部駅西口)
園部駅から福住まで走る京阪京都交通のバス(JR園部駅西口)

 篠山線は南丹市の園部駅と兵庫県篠山市の篠山口駅を結ぶ計画だった。バス路線は鉄道工事以前からある。JR園部駅西口から、京阪京都交通のバスに乗った。10座席ほどの小さな車両で、出発時に乗り込んだのは記者以外に3人。バスは南丹市役所前や南丹署前など園部地域の中心部を通るが、乗り込む人はいない。気がつけばほかの乗客は1人に減っていた。

 住宅街を過ぎ、水田が広がる。「るり渓口」を過ぎるとトンネルに入った。出口付近にある「兵庫県」「篠山市」の標識で、府県境を越えたことを知る。

 「安口」と書いて「はだかす」と読む停留所を見つけた。地名の由来は何だろう。気になって窓外の景色をゆっくり眺めたいのだが、乗降客はおらず、バスは勢いよく通過していく。園部駅を出て約40分、かつて篠山線が到達した東端の地、福住に着いた。

1980年の園部駅。ツバメのマークを付けた国鉄バスが停車している(現南丹市園部町)
1980年の園部駅。ツバメのマークを付けた国鉄バスが停車している(現南丹市園部町)

 1922(大正11)年、改正鉄道敷設法が施行された。国が工事すべき150の新線リストに園部-篠山間の路線も入っていた。34(昭和9)年には、先行路線として鉄道省営バスが同区間を走り始めたが、レール敷設は見通せなかった。

 風向きが変わったのは42(同17)年。太平洋戦争の開戦約1カ月後の新聞には「園部、篠山間に国鉄の建設決まる」の見出しが躍る。「戦時下重要資源開発と時局下緊急を要する」として選ばれた。「沿線資源としては灯材用けい石が産出される」ことが理由だった。

 「兵庫の鉄道廃線を歩く」(神戸新聞総合出版センター刊)によると住民延べ1万人が工事に参加。福住-篠山口17・6キロが44(同19)年3月に開通した。休止した国鉄有馬線の資材が転用された。

国鉄篠山線の廃線を伝える1972年3月1日付の京都新聞
国鉄篠山線の廃線を伝える1972年3月1日付の京都新聞

 戦後、国鉄の合理化が叫ばれ、篠山線は「赤字83線」の一つとして廃止対象になった。72年2月末、日本中が「あさま山荘事件」に注目する中、ひっそりと28年の短い歴史に幕を下ろし、園部までの鉄路の夢は消えた。

 江戸時代の宿場町の風景を残す福住地区は、2012年に国の重要伝統的建造物群保存地区になった。篠山市役所多紀支所に置かれていた地区の案内パンフレットには「バスでのアクセスは便数が少ないため車が便利です」と書かれている。福住地区出身の篠山市職員森田悠介さんは「車で来られる方が多く、バスの方はあまり見ないですね」と話す。

国鉄篠山線の東端、福住駅跡近くに立つ記念碑(兵庫県篠山市福住)
国鉄篠山線の東端、福住駅跡近くに立つ記念碑(兵庫県篠山市福住)
 福住駅跡の記念碑などを眺めていると、次のバスがやってきた。福住から乗るのは神姫グリーンバスだ。「デカンショ街道」と書かれた道路などを進み、約25分で篠山市中心部に近い篠山営業所に着いた。

 40人ほどが座れそうな大型バスだったが、終点までに乗ってきたのは高齢女性1人のみ。なんとも寂しい。バス路線もやがて篠山線の後を追うのだろうか。

 

国鉄篠山線

国鉄篠山線

 全長34.1キロ。西側の篠山口-福住17.6キロは廃線で、東側の福住-園部間は計画段階で中止になった未成線。全線を鉄道省営(後に国鉄、西日本ジェイアール)バスが走っていたが、2002年に撤退。現在は京阪京都交通と神姫グリーンバスが引き継ぐ。京阪京都交通は福住行き5便、園部駅行き4便で、神姫グリーンバス(一部は篠山営業所まで)は6往復している。

【2017年07月14日掲載】