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(16)東本願寺引き込み線

三大門再建、修復で敷設
東本願寺に残る引き込み線の図面
東本願寺に残る引き込み線の図面
 明治の末、東本願寺(真宗大谷派本山、京都市下京区)の巨大な門を再建するため、京都駅付近から寺の南側まで、木材などを運搬する専用の引き込み線が敷設された。現在はビル街となった京都駅前を歩き、わずか3年で姿を消した、1世紀以上前の路線跡をたどった。

 引き込み線は明治42(1909)年に敷設された。長さ200メートル余りで、初代京都駅の駅舎西側で分岐し、東本願寺南側の「七条工作場」まで延びていた。東本願寺に残る図面が数少ない手がかりだ。
引き込み線が敷設されていた方向を指さす北川さん。線路は手前の京都市バスのターミナルから、奥のローム京都駅前ビルに向かって延びていた(下京区)
引き込み線が敷設されていた方向を指さす北川さん。線路は手前の京都市バスのターミナルから、奥のローム京都駅前ビルに向かって延びていた(下京区)
 京都駅の歴史に詳しい歯科衛生士北川ちひろさん(31)=左京区=に案内してもらった。出発点は、京都中央郵便局の東側だ。
 「このあたりからカーブしていくはずです」。北川さんが北東方向にある京都市バスの降車ターミナルの方向を指さす。ターミナルでは京都市内各地からひっきりなしにバスが到着し、観光客らが降りていく。

 ターミナルが面する塩小路通には引き込み線建設当時、路面電車の京都電気鉄道(京電)が通っていた。「京電と平面交差していたはずです。衝突防止にどんな工夫がなされていたか興味深いが、資料がほとんどない」と北川さんは残念そう。明治末期の京都市内を写した絵はがきは多く残されているが、引き込み線が写ったものはないという。
引き込み線はこの付近で木津屋橋通を斜めに横切っていた。ヨドバシカメラマルチメディア京都は、かつての七条工作場の場所に立っている(下京区木津屋橋通室町東入ル)
引き込み線はこの付近で木津屋橋通を斜めに横切っていた。ヨドバシカメラマルチメディア京都は、かつての七条工作場の場所に立っている(下京区木津屋橋通室町東入ル)
 引き込み線は塩小路通を横切り、室町塩小路を数メートル東に入った地点へと至る。電子部品大手ロームのビルがある付近を通っていたようだ。

 ビル街となったエリアを抜けた線路は、木津屋橋通を越え、ヨドバシカメラマルチメディア京都の敷地へと入っていく。木津屋橋通以北はかつての七条工作場だ。図面によると付近では約100メートルの直線の複線となる。どうやらここが荷物の積み降ろし場だったようだ。

 「ヨドバシカメラの建物を建てる際には発掘調査も行われましたが、引き込み線の遺構は見つからなかったようです」と北川さんは話す。
引き込み線を使って運ばれた資材で再建された東本願寺の御影堂門(京都市下京区)
引き込み線を使って運ばれた資材で再建された東本願寺の御影堂門(京都市下京区)
 元治元(1864)年、「蛤御門の変」の兵火は京都市中を焼いた。御所から3・5キロ離れた東本願寺境内も焼失。主要な建物の御影堂や阿弥陀堂は明治28(95)年に再建されたが、門の建設にはさらに10年以上を要した。

 同40(1907)年、御影堂門の起工式が行われた。高さ26・8メートルの門再建には多くの材木が必要となり、岐阜や石川、富山など各県の門徒から巨木が献納された。

 そうした巨木運搬のために鉄道は大きな役割を果たしたが、同44(11)年に御影堂門、阿弥陀堂門、菊の門(勅使門)の「三大門」の再建、修復が完成したため、線路は撤去されたようだ。

 線路北端のヨドバシカメラ敷地から約300メートル歩き、御影堂門に着いた。直径1メートルほどの巨大な柱が参拝者を迎える。京都の玄関口の駅前で巨木が運ばれる様子は、明治の京都人にとっても興味深い光景だったはず。それだけに資料が乏しいことが悔やまれる。

東本願寺引き込み線

東本願寺引き込み線
 京都駅と東本願寺を結んだ路線。蒸気機関車のような動力を使ったのか、トロッコのような人力だったのかは不明。明治13(1880)年から同28(95)年の御影堂、阿弥陀堂再建時も、別の引き込み線を敷設したとされる。

【2017年04月14日掲載】