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カジやんの撮り鉄日記
京都新聞の撮り鉄カメラマン"カジやん"が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

(60)鉄道営業の神様 木下淑夫

接客、誘客、近代化に尽力
木下淑夫(日本国有鉄道百年史より)
木下淑夫(日本国有鉄道百年史より)

 国際観光事業の大切さに早くから気づき、日本の鉄道の営業体系を構築し近代化させた人物こそ、木下淑夫(よしお)である。

 木下は1874(明治7)年、京都府熊野郡神野村(現京丹後市)に生まれた。98(同31)年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、翌年、大学院在学中に逓信省鉄道作業局工務部に鉄道技師として就職した。

 木下の鉄道人生で最初の大仕事は、私鉄の関西鉄道との旅客争奪戦であった。従来は私鉄と同じ立場で官鉄が「争う」ことはなかったが、運輸部旅客掛長だった木下は1902(同35)年、激しい価格競争や粗品をつけるなどのサービス合戦を展開した。

 その後、木下は営業サービスを学ぶべく欧米に留学した。帰国後、私鉄17社の運輸規定を参考に、アメリカ式のサービス主義・営業主義を取り入れた国有鉄道の営業規定を作り上げた。

 それまで「~すべし」などと命令調だった掲示文章を、「~せられたし」といった表現に改め、接客する職員にサービス精神を持たせる指導を行った。

 また、定期券割引制度の創設や観光用臨時列車の導入、国際連絡運輸の充実、営業所の開設など、新しいサービスを次々に導入した。現在に通じる営業サービスの多くは、木下の主導によるものであった。

京都鉄道博物館で展示されているさまざまな旅行案内書(本館2階・「旅行」コーナー)
京都鉄道博物館で展示されているさまざまな旅行案内書(本館2階・「旅行」コーナー)

さらに、各種出版物の発行にも尽力した。10(同43)年発行の「鉄道院線沿道遊覧地案内」をはじめ、現在のガイドブックに通じる「旅行案内」を次々と出版した。

1915(大正4)年に旅行案内社が発行した「公認汽車汽船旅行案内」(2・3月号)
1915(大正4)年に旅行案内社が発行した「公認汽車汽船旅行案内」(2・3月号)

 民間3社で競合していた時刻表も、木下の働き掛けで3社統合し、15(大正4)年1月から月刊の「公認汽車汽船旅行案内」を発行した。通称「三本松の時間表」は、19(同8)年には発行部数1万部を超えるベストセラーとなった。

 他にも自身の留学時代の経験から、外国人客誘致のためのジャパン・ツーリスト・ビューロー(現JTB)を鉄道院主導で設立した。各地に案内所を設け、外国人旅行者向けに時刻表、案内書、地図などの配布や、乗車船券の委託販売を行い、積極的に国際観光事業を推進した。

 木下は勉強家の穏やかな紳士で、「営業の神様」と称された。そして、彼ほど鉄道先進国の事例を学び、日本の鉄道営業に斬新な試みと、以降に続く影響を与えた人物はいない。彼の残した足跡の一端を、当館の展示を通して知っていただきたい。(京都鉄道博物館司書 加藤沙織)

さらに、各種出版物の発行にも尽力した。10(同43)年発行の「鉄道院線沿道遊覧地案内」をはじめ、現在のガイドブックに通じる「旅行案内」を次々と出版した。

【2017年07月11日掲載】