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カジやんの撮り鉄日記
京都新聞の撮り鉄カメラマン"カジやん"が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

(69)官営鉄道・国鉄・JR

社会の近代化、発展けん引
1909(明治42)年ごろに発行された鉄道院路線図の絵はがき。中央上のマークは帝国鉄道庁・鉄道院の英略語「IGR」をデザイン化したもの
1909(明治42)年ごろに発行された鉄道院路線図の絵はがき。中央上のマークは帝国鉄道庁・鉄道院の英略語「IGR」をデザイン化したもの

 鉄道は、鉄の軌条(レール)などによって決められた路線を車両が走行し、旅客や貨物を輸送する陸上交通機関である。19世紀初頭に英国で蒸気機関車が発明されて以降、人と人、地域と地域を結び、社会の近代化と発展をけん引してきた。

 日本の鉄道建設は、民部(みんぶ)兼大蔵大輔(おおくらのたいふ)の大隈重信、大蔵少輔(しょうふ)の伊藤博文らの奔走により、1869(明治2)年11月に決定。翌70(同3)年3月、民部大蔵省内に鉄道掛(がかり)が創設された。同掛はその後、分離した民部省の管轄となり、工部省の新設とともに同省に移管される。

 71(同4)年には鉄道寮と改称され、英国で鉄道技術などを学んだ井上勝が鉄道頭(てつどうのかみ)に就任。72(同5)年に新橋-横浜間で国内初の鉄道が開業して以降も、二十数年にわたって官設の鉄道建設を推進し、その発展に尽力した。

鉄道省(上)、運輸省(中)、日本国有鉄道(下)の各車両銘板
鉄道省(上)、運輸省(中)、日本国有鉄道(下)の各車両銘板

 85(同18)年、工部省の廃止により、同寮は総理大臣直轄の鉄道局となった。90(同23)年には鉄道局から鉄道庁に改称されたが、93(同26)年に再び鉄道局に戻されている。

 97(同30)年、官設鉄道の建設と保守、営業などを担当する鉄道作業局が新たにでき、鉄道局の担当は私鉄の免許・監督事務などとなった。さらに、各地の私鉄国有化による業務規模の拡大に対応するため、1908(同41)年、鉄道作業局は、帝国鉄道庁に改編された。

 しかし、翌年には業務量の増加に伴い、鉄道局との統合で鉄道院が発足。20(大正9)年には、輸送量の激増に対応するため鉄道省に昇格した。

 43(昭和18)年、戦時の運輸強化策として、鉄道省や各省庁所管の運輸・通信・気象部門などが統合され運輸通信省となり、鉄道は同省の鉄道総局が担当した。45(同20)年5月に運輸部門は運輸省として分離され、同局も移管となる。

 終戦後は、「国営の鉄道を公共企業体に」との連合軍の勧告で、49(同24)年に日本国有鉄道が発足。初代総裁候補には私鉄の社長なども挙がったが、最終的に運輸次官の下山定則が就任した。

国鉄の分割民営化前後に製作された「さようならヘッドマーク」と「旅立ちヘッドマーク」
国鉄の分割民営化前後に製作された「さようならヘッドマーク」と「旅立ちヘッドマーク」

 国鉄は64(同39)年以降、赤字で債務が累積。80年代に入ると、その巨額債務の解消や、地域密着の経営などの議論が進められた。そして、87(同62)年に分割民営化されJR各社へと移行し、現在に至っている。

 当館では鉄道に関するさまざまな資料を収蔵、展示している。これらを通して、鉄道の過去から現在までの歴史や技術に触れてみていただきたい。(京都鉄道博物館学芸員 廣江正幸)

=おわり

【2017年09月26日掲載】