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カジやんの撮り鉄日記
京都新聞の撮り鉄カメラマン"カジやん"が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

(48)旧逢坂山トンネル

日本人技師だけで開通
工事中の逢坂山トンネル西口(「日本国有鉄道百年写真史」より)
工事中の逢坂山トンネル西口(「日本国有鉄道百年写真史」より)
 明治時代に鉄道が敷設され、人や物の移動が容易になり、人々の生活は大きく変化した。ここから日本は近代国家への道を大きく進んでいくことになる。

 だが、その鉄道敷設には多くの困難を乗り越えてきた歴史がある。橋を架け、トンネルを掘り、線路が全国に延びていったが、その土木工事は当時の日本では一大事業だった。

 1874(明治7)年に大阪-神戸間、77(同10)年に京都-大阪間が開業し、京阪神の都市を結ぶ鉄道が完成した。引き続き東への延伸工事が続けられ、78(同11)年に京都-大津間の工事が開始された。
工事を実行した鉄道頭、井上勝(「日本鉄道史」より)
工事を実行した鉄道頭、井上勝(「日本鉄道史」より)
 この頃から鉄道は、技術面において転換期を迎える。外国人の助けを借りず日本人だけの鉄道建設を目指す動きが始まったのである。

 イギリスで鉄道学を学び、日本の鉄道の最高責任者となった鉄道頭(てつどうのかみ)の井上勝(43~1910年)は、外国人技術者の協力を得て、77(同10)年に大阪駅構内に「工技生養成所」を設立し、日本人の技術者教育を開始した。

 旧逢坂山トンネルを含む京都-大津間の工事は、日本人のみで工事をした最初の鉄道となった。78(同11)年8月に起工し、4工区に分割して、それぞれの工区を工技生養成所出身者に担当させた。

 国沢能長(よしなが)(48~1908年)の担当により、10月に東口から掘削を始め、12月には西口からも掘削を開始した。工事は80(同13)年6月に完成し、京都-大津間は同年7月15日に開業した。

 東口坑門には三条実美の筆による「楽成頼功(らくせいらいこう)」の扁額(へんがく)が掲げられ、工事関係者の功績がたたえられた。また西口の坑門には、井上勝が工事の経緯を記した扁額も掲げられた。

 旧逢坂山トンネルは日本最初の鉄道山岳トンネルで、外国人技師に頼らず日本人だけで開通させたことに大きな意義がある。以後、全国へ鉄道網が広がっていくが、その技術者育成の成果がここから始まったのである。
館内で展示している「旧逢坂山隧道(ずいどう)石額」(1880年)
館内で展示している「旧逢坂山隧道(ずいどう)石額」(1880年)
 現在、旧逢坂山トンネルは東口の坑門のみが現存し、坑口は1960(昭和35)年に国鉄の鉄道記念物となり、ほぼ建設時の姿を保ったまま保存されている。西口は62(同37)年の名神高速道路建設に当たって埋められたが、坑門の扁額は取り外され、当館で展示・保存されている。

 石額に込められた鉄道技術の国産化を成し遂げた鉄道技術者たちの苦労と誇りを感じていただきたい。(京都鉄道博物館学芸員 岡本健一郎)

【2017年04月18日掲載】