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カジやんの撮り鉄日記
京都新聞の撮り鉄カメラマン"カジやん"が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

(35)B20形蒸気機関車

戦中生まれの「まめタンク」
炭水車をけん引するB20形10号機(鹿児島機関区構内、1960年代前半に撮影)
炭水車をけん引するB20形10号機(鹿児島機関区構内、1960年代前半に撮影)

 当館の扇形車庫では、大型の蒸気機関車に混じり、小さくてかわいい蒸気機関車も保存・展示している。「まめタンク」の愛称で親しまれている、全長7メートル、重量20・3トンの小型蒸気機関車「B20形10号機」だ。

 1941(昭和16)年12月、国策によって国内の車両メーカーが参画した車両統制会が設立され、産業用の小型蒸気機関車やガソリン機関車などの製造統制が行われるようになった。

 その活動の中で、大量生産に適した蒸気機関車製造を実現させるため、43(同18)年には小型蒸気機関車専門委員会が組織され、B20形の設計も同年から開始となり、約1年をかけて設計が完成した。

 B20形は、このように資材不足が深刻化した戦中・戦後の状況の中で、輸送力確保のために、福島県の鉄道省郡山工場と富山県に所在した立山重工業によって製造された蒸気機関車である。

 同機は機関車本体に炭庫と水槽を備えた「タンク式」と呼ばれる形式で、最高時速45キロと低速だった。構内車両の入換用や小運転に使用が限定されことで、前照灯を装備せず、さらに機関車本体にのみブレーキをかける蒸気ブレーキ(一般的な蒸気機関車は空気ブレーキ)が採用された。

 しかし設計段階から出遅れ、完成に至るも戦時体制には寄与することなく終戦を迎えた。戦後、横須賀の米軍基地での使用以外は、主に構内入換用として運用された。

 45(同20)年から47(同22)年にかけて15両が製造されたB20形は、戦時設計で必要最低限の規格での製造だったため寿命も短く、短期間でそのほとんどが廃車となった。現在は北海道の万字線鉄道公園で保存されている1号機と、当館で保存・展示している10号機が残るだけである。

 	ボランティアによるB20形10号機の修復作業(部品清掃)の様子=2002年5月、梅小路運転区構内
ボランティアによるB20形10号機の修復作業(部品清掃)の様子=2002年5月、梅小路運転区構内

 当館にある10号機は、主に姫路や鹿児島の機関区で入換用機として運用された後、72(同47)年に梅小路機関区に転属となり、梅小路蒸気機関車館で展示・保存されることになった。

 その後、2002(平成14)年10月に同館の開業30周年とJR西日本発足15周年を記念して、JR職員、OB、一般ボランティアの手で、およそ半年かけて修復工事が行われ、動態保存機として復活を果たした。

 当館にご来館の際には、激動の時代を駆け抜けたB20形をぜひ、見学していただきたい。(京都鉄道博物館学芸員 吉田和博)

【2017年01月17日掲載】