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酒井敏氏 「だらしなさ」こそ変革の源

酒井敏氏 さかい・さとし 1957年生まれ。専門は地球流体力学。「京大変人講座」を企画し、2017年春から一般・学生向け講座を開いている。著書に「都市を冷やすフラクタル日除け」(成文堂)。


 生物はとんでもないイノベーター(変革者)だ。化学兵器としての酸素を生み出したかと思えば、今度はその毒を逆にエネルギー源にしてしまう。だからこそ、無計画な46億年の地球の歴史を生き延びてきた。
 しかし、生物学者は言う。生物は大した発明もしていないし、大した道具も使っていない。ただ、そこにあったものを使っただけだ。
 「おふくろの味」を看板に掲げる店に入ってみたら、中でオヤジが料理を作っていた。これは、規則違反か? 法哲学者は言う。ちょっとくらいええやんか。あんまり細かいこと言うと首絞まるで。
 自然界にしても人間の社会にしても、世の中は予想ができないカオスである。将来何が起こるかわからない。では、全くの無秩序かというと、そうでもない。
 天気は典型的なカオス現象であるが、明日の天気はかなりの確率で予報できる。ある数字を2乗して2を引くという計算をしてみる。どんな電卓で計算しても同じになる計算だが、これを数十回繰り返すと、ごく僅(わず)かな誤差のために、すべての電卓の答えがバラバラになってしまう。
 カオスの世界では、ほんのちょっとした差が将来を大きく変えてしまうのだ。これを逆に考えてみると、どう考えても厳密に一つしか答えがあり得ないようなものでも、ほんのちょっとの違いや差を「許容」することで、将来は無限に可能性が広がる。
 京大にノーベル賞受賞者が多いのは、「自由の学風」があるからだ、とよく言われる。しかし、京大が素晴らしい教育をしているかというと、そんなことはない。たいていは普通の講義で、特に変わったことはしていない。ただ、ルーズなだけである。ある意味だらしがない。
 この「だらしなさ」こそ、新しいものを生む原動力であると私は思う。同じ非常識でも、ぶっ飛んだ発想は何か新しいものを生むが、中途半端なものは迷惑なだけで、何も生まない。多くの人はそう考えるかもしれない。しかし、ほとんどの場合「ぶっ飛んだ発想」は現実に成立しない。
 実現可能なものは、ほんのちょっとした違いの積み重ね、または、ちょっとした違いを修正せずに、そのまま発展させた結果である。つまり、ちょっとの違いや変なところを「許容」したからこそ、とんでもないものが生まれるのだ。
 京大にはとんでもない変人がいっぱいいると思われているフシがある。しかし最初からとんでもない変人というのは、いない。いるのは地味な変人の進化形と、進化中の地味な変人である。

(京都大人間・環境学研究科教授)

[京都新聞 2017年09月22日掲載]