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「研究」の闇、たどり直すべき 連載のおわりに

帝国の骨

 「広島のものは広島に。長崎のものは長崎に」。

 それが米軍が京大などから軍事研究として持ち去った被爆者の病理標本などが、1973年に返還された時の原則だった。

 大事な原則だと思う。調査した学者や医師の元ではなく、患者や子孫が暮らす地域へ。そこで複数の資料が有機的に結びつけば、研究は未来に生かされ、語り継ぐ礎となる。

 アイヌの土地や沖縄から遺骨を持ち去った京大の医師たち。その時代の多数の側の要請と、研究目的という「大義」はあったのだろう。だが得られた知識を現地で暮らす人々に返さず、奪われる側の痛みにまひすれば、どうなるだろう。

 旧満州にあった関東軍防疫給水部「731部隊」には京大出身の医師たちが細菌戦の実験や多数の人体解剖を行ったが、その「成果」は軍事秘密の闇に閉ざされたままである。被爆者の遺族が解剖に愛しい家族の体を提供し、原因不明の病が解明されることを祈ったことを思い返したい。米軍がやったように、治療なき研究は、人体実験ではないのか。

 敗戦で「帝国」は崩壊し、京大が収集した資料もちりぢりになった。

 京大医学部教授だった清野謙次は膨大なアイヌ民族の文物や副葬品も収集、それは「清野コレクション」と呼ばれる。戦後、清野コレクションのうち民俗資料や考古資料は大阪府立近つ飛鳥博物館、奈良県の天理大学付属天理参考館、埼玉県立博物館などに、人骨コレクションは京大理学研究科・自然人類学教室(同研究室ホームページによる)にある。資料番号の原簿を京大が公開していないため、人骨の発掘場所と民俗資料の関係が結びつかないまま、放置されている。その存在さえ、アイヌの人たちに知らされていない。

 医学は、正常と異常を区別する学問だ。大多数の側に立ち、少数者の側を「異常」や「劣ったもの」と見なし、犠牲にする危うさは、現代も付きまとう。

 それは優生学の歴史であり、優生思想として社会に根を張る。しかし、医学は患者と歩む学問でもある。一方的に患者や研究対象の人から奪い去る側に学問が立たないために、歴史をたどり直し、もう一度、つながり直すことが問われている。

【2018年1月21日掲載】